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平尾を中心としたその周辺の地域住人・商店・事業所などによる地域密着情報サイト“ひら・ぐら”の平尾の歴史紹介第1話です。

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〒810-0014 福岡市中央区平尾5-4-36 2F

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平尾の歴史(史跡)
散策 第1話
容見天神発祥の由来
平尾の歴史(史跡)
散策 第2話
飢人地蔵尊祭り
平尾の歴史(史跡)
散策 第3話
野村望東尼
平尾の歴史(史跡)
散策 第4話
平尾村の今昔ばなし
平尾の歴史(史跡)
散策 第5話
時には横道にそれますが

平尾の歴史(史跡)散策 第1話

鎌倉時代の博多地図|平尾の歴史

 平尾の住宅地一帯に、あちこちに点在する史跡を年代順を追いながら、しばし散策してみられてはいかがでしょうか・・・往時を偲びながら、たまには思いっきり《タイムスリップ》しながら、再現してみたり、空想をたくましくしてみたり・・・お楽しみ下さい。 

 先ずトップバッターは、10世紀初頭の・・・当時西の政庁として大繁栄をきわめた『大宰府政庁』は、人口およそ六〇〇〇〇人を誇る一大都市だったそうです。(地名を表す時は、太宰府と書くそうです。お分かりかな、違いが?)
 西暦901年その政庁の《権の帥=ごんのそち=副県知事に相当》として、都落ちを命ぜられたのが、かの有名な菅原道真公です。時の左大臣『藤原時平』の讒言による不遇の左遷、さぞや無念であったろうことは、皆様もつとにご存じのことと思います。

 実は平尾の丘陵地の一角に、地元の氏神様『平尾八幡宮』が鎮座しましてござりまする。その境内の片隅に何故にか、【平尾天満宮】が祭ってござる。由緒を尋ねてみると――30有余年前八幡宮の地より5、60メートル下った所に鎮座されてた天満宮を、現在地へ横遷宮されたとのこと。いわれは元々祭られてた地は、時代の推移と共に住宅地の中に埋もれそうになったため、八幡宮の地へ遷座された由。
 ここに800年ほど前の博多の古地図がござる。住吉神社の絵馬に書き記されたれっきとした、古文書に依れば――現在の天神・春吉・中州一帯はそっくり『冷泉津』と云う大きな湾の中だったとか。

 そこでちょっと想像をたくましくして、京の都からはるばる博多の地に単身たどりつかれた当時の道真公の様子を、取って置きの新兵器【タイムスリップ自在のテレビマシン】を駆使して、再現して平尾の歴史散策をご案内致す次第でござる。なにとぞお付き合いのほどを・・・


「題して・・寸劇【容見天神(すがたみてんじん)】発祥の由来・・乞うご期待!!」

【登場人物】
右大臣・菅原道真公、船頭、村長(むらおさ)、権三、権助、お恵

第一幕 『道真公、博多湾(冷泉津入港』
船頭 右大臣様、あれに見えちょりますのが、博多港『袖ノ港』ちゅう所でお役人さんやらのおらっしゃる所でごぜぇます。
道真 あれに立ち寄るのは止しに致そう――右大臣の権勢や栄華も、今は昔の夢物語・・・湾の奥の静かなる浜で身を休めるのが、今の麿にはふさわしかろう。
船頭 そんなら、この湾は冷泉津ちゅうて、波も穏やかですけん、どこんでちゃ云わっしゃる所に、船ばお着けしますバイ。
道真 では、あの右手のこんもりとした丘の麓に、ほどよい浜はあろうか?
船頭 ごぜぇますとも!平尾の浜ち云いますったい。俺(おい)が村もあそこにあっちょりまして、へっへっへっ、柳町辺りの夜遊びにはもってこいの良かぁ船着き場がごぜぇます。
道真 博多は昔より異国の船の出入りも多い『商人の町』と聞いておる。京の都に劣らぬ花柳(かりゅう)の巷(ちまた)があるのであろうのオ。
船頭 へい、そりゃもう紅の濃いいの薄いの、へっへっへっよりどりみどり
道真 まぁ良いわさ、麿には縁無きことじゃ。それよりあの丘の上より初めて踏みしむる博多の街並みを、一目眺めてみたいものじゃ。
船頭 へい、合点承知!眺めの良かぁ場所がごぜぇますけん、早速にもご案内を・・・おーい村の衆、京の都のピカイチ大臣さんのご着到ぞォ、村おさに知らすっとぞォ!
道真 これこれ船頭、大げさに騒ぐでない。麿は今、一介の流浪の身じゃ。
船頭 なんば云わっしゃるですか! 右大臣【菅原道真公様】ちゅうたら、俺達(おったち)にとっちゃ手も届かん殿上人(てんじょうびと)、粗そうでんしょうもんなら、末代までの恥ですたい。

第二幕 『平尾の浜、上陸』
村長 これはこれは右大臣さま、ようこそ平尾の浜に、お立ち寄り下さりまして、こんなに名誉なことはごぜぇません。
道真 村長(むらおさ)の出迎えとは、煩わしいことになりおったわい。麿はただ眺望(ちょうぼう)だけを、楽しみたいと思っていたに・・・まぁやむをえぬか。
村長 粗末なあばら家しかごぜぇませぬが、ささ、屋敷の方へおなりなさっせ。
道真 待て待て・・・おぉ波ひとつなき静かなる水面じゃな。長旅の疲れか・・水面(みなも)に映るやつれはてたるこの顔(かんばせ)、これが都では並ぶ者なきと謳(うた)われし我が現(うつ)し身かぁ!
村長 何やら物思いに耽(ふけ)っちょらっしゃるごたる。皆の衆、邪魔すっでねぇぞ。ソレ今の内に近所近辺の村長(むらおさ)どん達に、ワシ等が村のとつけもねぇ自慢話を、触れまわっちょけよ。
道真 これ、誰(たれ)かある。どこぞ高き所へ案内(あない)を頼む。
村長 へへーっ、これ、渡し守りの権三・権助の兄弟やい、主(ぬし)どんがご案内を・・・それから村一番の茶を・・いや、待て待て、茶の差し上げ役は・・・
権三 川向こうの島田屋の娘、あの子しかおらんばい、なぁ権助よ。
権助 あったり前タイ!なんちゅうたっちゃ『港祭りの別嬪選び』で、警固村や住吉村の連中をけっちらかして、一等賞を取ったっちゃもんな。
村長 おーおーそうじゃった、そうじゃった! そったら急ぎ着飾って・・・
権三 村長(むらおさ)のおんじさん、皆まで云わんちゃ、分かっちょるバイ。

第三幕 『容見天神 発祥の由来』
道真 ほほう、鄙(ひな)には稀なる華(はな)の顔(かんばせ)じゃな。名は何と申す?
うちゃ、『恵』ち呼ばれちょります。
道真 朝廷の女房達にも劣らぬ美形じゃ。いやいや驚きいったぞ。
アチャー、都ン人はお世辞がうまかち聞いちょったバッテン、ほんなこち・・
道真 世辞ではないぞ。これ、遠慮はいらぬ。この石の上、麿の横に掛けるが良い。
いやーぁ、そげんこつァ、うちにゃ怖れ多かっち!
道真 なに恐れ入ることはない。もう一杯茶を所望するだけじゃ。
村長 お恵、お茶のご催促ぞ・・・粗相すんでねぇど。
道真 お恵とやら、東の方角はどちらじゃ?
お天道様の昇ってこらっしゃるんは、あっちん方でごぜぇます、ねぇ権兄(ごんあに)?
権助 ウンウン、そっちん方で合うちょる。太宰府(だぜぇふ)もそっちん方でごぜぇます。
道真 おーあの方角か。さても良き眺め、良き眺めじゃ。
アレッ都ン人、どっちゃん方を向いて良か良か云いよんしゃるですか
道真 よいよい、しばしそのまま、しばしそのままじゃ!
ほんなら右大臣様は、都の奥方さんを偲んでらっしゃるですか?
道真 しばし口をつぐんでいよ、容(すがた)見るこころが乱るるゆえに。
権助 アレッ右大臣さんなお恵の方ばっかし見ながら、良か姿、良か姿ち云ござるバイ。
権三 ほい、一句浮かんだぞい。【容見つ 都偲ぶや 右大臣】ちゃ、どうな?
村長 なになに、【容見つ 都偲ぶや 右大臣】か。こりゃ良か、でかした権三!
うちも良かち思います。しゃーけん権三兄ちゃんの作らしたそン句ば・・
権助 右大臣さんの座らした石に刻みこんで・・・
村長 分かった分かった、権助! そン石ば『平尾ン村の守り神さんに』したらどうかち云うんじゃろ。そりゃ皆良かち云うに決まっちょるクサ、のお、村の衆?
権三 へっへっへっ容見天神発祥の由来、お分かり頂けましたかな、皆々様!!