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平尾の歴史(史跡) 散策 第1話 容見天神発祥の由来 |
平尾の歴史(史跡) 散策 第2話 飢人地蔵尊祭り |
平尾の歴史(史跡) 散策 第3話 野村望東尼 |
平尾の歴史(史跡) 散策 第4話 平尾村の今昔ばなし |
平尾の歴史(史跡) 散策 第5話 時には横道にそれますが |
福岡市動物園の正門前のバス通り(坂道)を、西の方へ登って行くと、T字型道路に突き当たる。その十メートルほど手前を右手入り込むと、閑静な雑木林になっている。更にそこを左の方角へ50メートルほど進むと、お地蔵様が祭ってある。土地の人達はもっぱら【飢人地蔵さん】と呼んでいる。現地に近い警固校区や平尾校区の古老や有志の方々により、二百数十余年にわたり慰霊祭が引き継がれてきている。因みに地蔵尊には、【嘉永六年癸丑(みずのとうし=1853年)四月四日、百二十五回忌記念】と刻まれている。
さて『平尾歴史散策第2話』は、前回の平安時代から一気に時代を下って、江戸時代中期に筑前地方を襲った悲惨な大飢饉の様子を、古老や古文書を手繰りながら、その記録の足跡を覗いてみよう。
今回は博多弁を使っての大人と子供の会話形式で、寸劇【南公園と飢人地蔵尊祭り】を通して、当時の実像に迫ってみたいと思います。
登場人物――地元のおいしゃんと3人の小学生(A・B・C)との会話です。懐かしい博多弁がふんだんに飛び交います。ご期待のほどを・・・
【登場人物】
おいしゃん、子供A・B・C
A | ほう、こりゃ珍しかバイ。あの物知りおいしゃんが、えろうパリッとしゃれこんでござるが、どこさい行きよんしゃるとかいな。 |
B | あの顔つきは、どう間違うてん花見じゃなかろうバイ。 |
C | ちょいと声ばかけてみろうか。おいしゃん、おいしゃん、えらいカッコつけて、どこさい行きよんしゃると? |
大 | こりゃ又どこんン子達かと思うたら、アンタ達な。今日は休みでんなかとに、学校にも行かんで何ばしよっとな? |
A | おいしゃん、今は春休みバイ。 |
B | おったち子供どんにとって、一番楽しか時タイ。 |
大 | ほんにそうじゃったな。ははーん分かった! ここいらばウロツキよる所ば見ると、おおかた動物園にばし行くつもりじゃな。 |
C | うんにゃ。春休みの動物園な人のゴチャゴチャしちょるけん、竹ンコ掘りに行きよっちゃん。 |
大 | タケンコ掘り! そんならアンタ達も、あン場所ば知っとるっちゃな? |
A | アチャ、おいしゃんもおったちの、あン秘密ン場所ば知っとらーしゃっと? |
大 | 知っとるクサ。そんなら行き先ァ同じやけん、一緒に歩こうかな。 |
B | そんならおいしゃんも南公園に用がありんしゃると? |
大 | アンタ達ぁタケンコ林の奥の方さい、行ったこつァあろうもん? |
C | あン先にゃ展望台があって、桜見にゃもってこいの場所になっちょるバイ。 |
大 | 展望台の方さい曲がらんで、まっすぐ行ったこつはあるな? |
A | まっすぐ行ったら、動物園の西門入口に出るっちゃなかと? |
大 | バス通りに出る手前で、右側の雑木林ン中に入ったこつァあるな? |
B | あっちん方さや、気色の悪かけん、あんまり行ったこつはなかバッテン・・ |
C | たしか石の地蔵さんが、二つか三つあったごたる気がするバッテン・・・ |
A | そんならおいしゃんな、あン地蔵さんの所へ行きよんしゃると? |
大 | そうたい。今日4月4日は昔から『飢人地蔵さん祭り』ちゅうてな、あン地蔵さんの前で、施餓鬼供養(せがきくよう)があるとたい。 |
B | セガキクヨウちゃ、何ンのこつかいな? |
大 | そりゃぁな、昔々今から三百年ばかり前に、大飢饉があってな、そン時食べ物がのうなってしもうて、飢え死にばさっさっしゃた人達ば供養する法事のこったい。 |
C | 三百年も前ちゅうたら、江戸時代の頃かいな? |
大 | そうそう。正確に云うたら1732年~33年にかけて、2年続きの大凶作が襲って来てな、平年作の1割しか農作物が取れんやったげな。それで食うモンが何ンもなかごつなって、皆な往生したとたい。それを俗に『享保の大飢饉』て云うとたい。 |
A | 『享保の大飢饉』ちゃ聞いたこつがあるごたるが、あン時の将軍さんな誰やったかいな? |
大 | 徳川第八代将軍・吉宗公ちゅうて、ホラ、テレビの暴れん坊将軍ちゅうたら、アンタ達も知っちょろうもん? |
B | マツケンサンバの将軍さんじゃろ? |
大 | そうそう。あン将軍さんの時に、大飢饉があったとたい。飽食の時代に育ったアンタ達にゃ、飢え死に云うたっちゃピーンと来ンじゃろうが、あン時や博多の町で六千人、黒田藩内で96000人もの人達が、食べ物がのうて、死んでしまわっしゃったげな。 |
C | そりゃぁムゴかバイ。 |
大 | そげん思うじゃろが! あン時ぁちんかこども達もばさろ亡くなったちゅう話やけん、ちょうど良か機会たい。あんた達も今日は一緒にお参りに来なさいや。 |
A | おったちも? |
大 | アンタ達のごたるチンカモンが参ってくれたら、仏さん達も喜ばっしゃる。 |
B | タケンコ掘りはどげんするかいな? |
大 | 参ってくれたら、おいしゃんが後で昼飯ばおごってやるたい。 |
C | ヤッタぁ!そんならおったちもついて行くバイ。早よ行こ、早よ行こ。 |
A | ワーもういっぱい大人ン人達が集まっちょるバイ。 |
大 | まもなくお経が始まるけん、静かにしときなさいや。 |
B | おいしゃん、さい銭な上げらっしゃったと? |
大 | 子供はそげなこつに心配せんで、お経ば聞きながら心ン中で(なんまんだぶ)ば唱えなさいや。 |
ABC | なまんだぶ・なまんだぶ。あーやっと終わった!! |
世話人:えーお蔭さんで今年の施餓鬼供養祭も無事執り行うことが出来ました。私も永いこと祭りのお世話をして来ましたが、子供さんが3人もそろって参加して頂きましたことは、初めてのこってす。お蔭で非常に心すがすがしい供養祭になりました。ご褒美に後で【おひゅうぎん】ば差し上げますけん、待っときなさいや。 ではこれにて終了です。皆さん有難うございました。 |
|
C | おいしゃん、おひゅうぎんちゃ、何のこつ? |
大 | お駄賃のこったい。 |
A | やったぁ! こげなこつなら、おったちゃ毎年お参りに来るバイ。 |
B | おいしゃん、忘れんごつ誘うてやらにゃいかんバイ。 |
大 | 分かっちょる、分かっちょる! |
C | ばってん、おったちゃ、そン頃生まれんでよかったぁ!! |
前段 おしまい!! |
【登場人物】
おいしゃん、子供A・B・C
A | おいしゃ、おいしゃん、なんごつ知らんぷりして通り過ぎよんしゃると? |
大 | あちゃぁ! アンタ達な。こりゃえらい連中に見つかってしもうた! |
B | 何でうったちば誘うてくれんやったと?去年あげん約束しちょったつに・・・ |
C | 約束破りは、おいしゃん『針千本!』って、覚悟は出来ちょると? |
大 | そげーんむごかこつば云いなさんな。大人にや大人の都合ちゅうもんがあるとタイ。 |
A | おいしゃん、ひょっとしたら『おひゅうぎん』の都合がつかんかったけん |
B | うったちば誘いにくかったっちゃなかと? |
大 | うっひっひっひっ! |
C | おいしゃんとうったちの仲じゃんね、そげんこつ心配せんで良かったつに。 |
A | 所でおいしゃん、去年の飢人地蔵さん祭りの時に・・・ |
B | 享保の大飢饉で、博多じゃ六千人、黒田藩の領内で96000人もの人達が、飢え死にさっしゃったち云わっしゃったろ? |
大 | 云うた、云うた! そン通りやったつバイ。 |
C | そもそもおいしゃん、飢え死にの原因は、なんやったと? |
A | そこいらば詳しゅう教えて。ほれ、おいしゃん殿、話の調子が出やすかごつ、扇子も用意して来ちょるけん。 |
B | いつもの名調子ば聞かせて! |
大 | うへー、あんた達にゃ負けたバイ! |
C | さーてさて皆の衆、ご用とお急ぎでない方は、聞いてらっしゃい、見てらっしゃい・・・ |
A | おいしゃん殿の名調子、始まりはじまり! |
大 | こりゃぁやりにくかなぁ・・しょうがなかか! ではお立会い、頃は享保17年(1732年)、筑前一帯は春先から雨多く、梅雨を過ぎ、夏迎えても雨降りやまず、そのため随所で洪水起こり、田畑は流され秋の収穫期を迎えても、稲穂は実らず、とほほほほ・・・ |
B | なるほど、なるほど。典型的な冷夏長雨の被害を、もろにこうむったのでござりまするな。 |
大 | いかにも、いかにも。それが2年も続いたもんだから、貧乏百姓や町民は食うもんもなく、遂には木の皮や草をむしって飢えをしのぎ、そのため筑前一帯には青草一本もないと云う、悲惨な有様に陥ったのでござる。 |
C | 黒田藩では救済の手ぐらい、差し延べなかったのでござりまするか? |
A | うったちが一番知りたかったのは、そこんとこやん。 |
大 | 勿論、藩としても時の徳川幕府に救援米の援助を、再三再四求めはしたが |
B | そん時の将軍さんは、誰て云いよったかいな? |
C | 例のかくれんぼ将軍の吉宗公たい。 |
A | あんた何っば云いよると、隠れん坊じゃのうて、暴れん坊将軍よ。 |
C | あいたしもうた、間違ごうてしもうた! |
大 | とにかく頼みの綱の『救援米』が届いたのは、暮れも押し迫った12月も末のことやった。しかも米の配給は武士階級が先で、残った分がやっとこ民百姓に分配されはしたが、ただじゃやられん、ゼニ払えとは、土台貧乏人にゃ無理な話たい。 |
A | そりゃぁまるで『手遅れ、しおくれ、出し遅れ』、挙げ句の三八、『死んどくれ』じゃん。 |
大 | 真冬を迎えた城下町にゃ、腹をすかせた親子づれが、物乞いにあっちゃウロチョロ、こっちゃウロチョロ。その内飢えと寒さでバタバタバタと野たれ死に、てな具合やったげなぁ・・・ |
B | 可哀そうに・・・なむおんちょろちょろ、なんまいだぁ! |
大 | 流石に黒田藩でも見かねて、今の『浜の町公園』辺りに【救済小屋】を建てて、おかゆを配ったげな。その一杯のカユほしさに、長尾・檜原・屋形原・油山辺りの人達は、親子家族手をつなぎ合わせて、『つんなごう、つんなごう、荒戸の浜までつんなごう』ちゅうて、ここいら辺りの山越え道をたどりながら、たおれて行かっしゃったげなぁ。 |
C | それでこン場所にお地蔵さんを建てたちゅう訳でござりまするか、おいしゃん殿。 |
大 | 左様、左様! |
A | そして毎年4月4日に、おいしゃん達は飢え人さん達の霊を、ねんごろに弔ってこられたのでござりまするな。 |
大 | いかにも、いかにも、その通りにござる。 |
B | そう云や今年はお地蔵さんが化粧直しされて、立派になられましたなぁ! |
大 | 実は6年前の大地震で、地蔵さんの土台が崩れかかったけん、280回忌に因み篤志家の皆さん方の、格別のご協力のお蔭で、みんごと修復出来よったとたい。 |
C | まっことご愁傷様に存じまする。(3人声をそろえて)【オンカカカ ビサンマエイ ソワカ (くりかえす)】 |
大 | ほほう感心感心!アンタ達もいつの間にか、真言宗のお題目を覚えたっちゃな。 |
A | それだけじゃなかとよ。ほれ、おいしゃん、うったちからの感謝の『おひゅうぎん』 |
大 | えっ、おいしゃんに? こりゃ又おいしゃんの大好物たい。あんがとな!それから最後に世話人さんの挨拶があるとやった。ご住職よろしく頼みます。 |
世話人:えー今年は280回忌と云うことで、地蔵様の化粧直しも無事実現し、大変喜んでおりました処、今年も又こどもさん達の巧みな寸劇で、地蔵さんの由来を語ってもらい、ほんに心温まる良かぁ慰霊祭になりました。 それではこれで『280回忌施餓鬼供養祭』を終わらせて頂きます。お気をつけお帰り下さいませ。 |
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後段 おしまい!! |
平尾商工連合会
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福岡市中央区平尾5-4-36 2F